不完全

 後何年待てば、健康になれるのだろう。後何年頑張れば、心が戦うことを止め苦悩から逃れられるのだろう。どれだけ努力すれば徳を積めるのだろう。何百回懺悔すれば過ちを繰り返さなくなるのだろう。どれだけの本を読めば知識が深まるのだろう。  完全でないことを、行動をしないことの口実にすることがしばしばだ。余程才能や健康に恵まれた人ならいざ知らず、ほとんどの標準的な人間にとっては、100年経っても今とほとんど同じ水準に留まっているだろう。それなら今すぐ行動すべきだ。不完全を愛し、完全など見向きもせず、貧弱な自分自身を愛することだ。取るに足らない自分だと思えば、一つ一つの挑戦が新鮮だ。  僕らが生きるのは、多くのお金を集めることではなく、肩書きを見せびらかすことでもない。今、住んでいる街で一つの風景を埋めるためだ。一人の不完全で大切な人間を、しっかりと風景の中に埋め込むためだ。かけがえのない、代用がきかない風景としてしっかりと埋め込むためだ。誰もが欠かせない一つの部分。どれが欠けても絵には描けない。  もう躊躇う口実など無い。不完全でみすぼらしいから行動するのだ。完全より不完全の方が完全なんてあり得ない。僕はいつでも不完全な方に圧倒的に惹かれる。待ってはいけない、待ってはいけない、待ってはいけない、完全になる日を。