電話

 優しい声で、優しいしゃべり方をする男の子だなと思っていたら、女性だった。2回目に話した時に、僕が錯覚していたことに気がついて彼女が指摘してくれた。  こんな失敗談も含めて、職業柄、多くの人と電話で話をする。若い人も多い。僕が話す機会がある人達は、おしなべておとなしい。ほとんどの人が実際に会ったことがないので、想像力を働かせるが、老いも若きもみんな女性は伊藤美咲、男性は福山雅治みたいな錯覚に陥る。どちらも僕が好きだから勝手に都合よく想像しているのだが、伊藤美咲が利発で計算高く、人を押しのけて生きるようには見えない。福山雅治が、饒舌で人をぐいぐい引っ張っていくようにも見えない。整った顔立ちが見せる定まらない視線が時折哀愁を帯びる。その瞬間が僕は好きだ。いくらすばらしい顔立ちをしていても、陽の中に陰を持っていないと魅力は感じられない。底抜けに明るいだけでは、美学がない。月があっての太陽だし、夜があっての朝だ。ギラギラと1日中太陽が照り、そこかしこを白日の下にさらされでもしたらたまったものでない。陰があるから、見えない部分があるから、秘密があるからこそ心を引かれる。  心地よい想像力を働かせながら僕はおしゃべりをする。息子や娘の世代が多いが、たまに妹のような世代の人とも話をする。健康に関する情報を引き出せばいいのだが、それでは皆さん患者になってしまう。薬局ですむくらいだから、患者ではない。ちょっと不調、あるいは命に関係ない程度の不調なのだ。だから僕は、おしゃべりをするように心がけている。病気ではないのだから、おしゃべりの中に現れるちょっとしたため息のほうが余程参考になる。堅苦しい問診で、伝わってくるものなどしれている。言葉にならない言葉の方が遙かに訴えてくるものがある。  僕の伊藤美咲福山雅治が増えて、第一声で誰か判断することが難しくなったが、僕は多くの人格に触れることが出来て幸せだと思っている。皆さんは気がついていないかもしれないが、僕は多くの活力をもらっている。僕が何かをしてあげているのではなく、僕が多くをもらっている。控えめなおしゃべりの中に、心を打たれる内容が多く、大きな悲しみも、小さな喜びもまるで風景の中にとけ込んだ古典音楽のようで、街路樹の下を自転車で疾走するあなたが、肩をすくめて歩くあなたが、電話の向こうに見える。やがて来る落ち葉の季節も、新しい命を息吹かせるため。抱えている苦しみの中にこそ芽生える希望もあるだろう。あなた方だからこそ見えるもの、感じられるもの。研ぎ澄まされた感受性に乗って沖にこぎ出そう。