横浜

 横浜に住む姉が昼過ぎに「お母ちゃんが今無事に着いたから」と電話をくれた。「お母ちゃん」がと言う単語を聴いた瞬間、一瞬何かあったのかと初めて心配した。  実は、数日前、横浜と千葉に行くと聞いていたが、何の心配もしていないし、何の協力もしていない。自分で今朝バスで出ていっているはずで頭の中から母のことは完全に消えていた。駅まで送ろうかと提案したが、必要ないとすぐに断られた。むしろ数日間薬局を留守にすることをとても気にしていて「悪いなあ、悪いなあ」と繰り返していた。母がいなくても、薬局は十分回っていくと思うのだが、やたら恐縮がっていた。  何でも横浜に2泊、長女がいる千葉に2泊するらしい。いつも来店者にお茶の接待をしているから「お母さんは?」と何組かに聞かれた。「横浜に行った」と言うと皆一様に驚く。口には出さないが、一人で行ったことより、一人で行かしたことに驚いているのかもしれない。自営業の特徴か、我が家の特徴か分からないが、皆、生涯現役なのだ。さすがに出来ることは限られてくるが、出来無いこと以外は皆する。父もほとんど最期まで、薬剤師を通した。最後の方はそれが鼻についたが、さすがに母は父よりは控えめで、僕らが手の回らない仕事を見つけては、1日中働いている。熱心な労働者だと思う。  敬う気がないのか、残酷なのか分からないが、母をいっさい老人扱いしていない。2km離れたところに独りで住み、ありとあらゆる家事をこなしている。その上で午後手伝いにやってくる。若い人と何ら遜色のない日常を送っている。「私はなんにも出来なくなった」が口癖だが、傍で聞いていて、何が出来なくなったのだろうと思う。さっさと動くこと以外、何ら衰えていないように見える。衰えたと強いて言えるのはスピードだけなのではないだろうか。  定年を迎え、後の人生を優雅に生きるのも一つの選択肢。だけど、半農半漁の田舎町で定年後を悠々自適に暮らしている人は少ない。みんなよく働いている。定年などどこ吹く風、80歳代の現役なんて一杯いる。その人達が育てた野菜を若者が食べ、その人達の獲った魚を若者が食べている。どちらがどちらを養っているのか分からない。生産性が必ずしも若者に分があるとも思えないし、総合力が若者が優っているとも思えない。欲が人格からはぎ取られて、木彫りの仏様のようになった老人達の働く姿はとても神々しい。なるほど、社会が用意してくれた幼子を相手にするような福祉と言う名のお情けもいいのかもしれないが、自立に優る自由はない。  軽トラックの助手席に奥さんを乗せ、おじいさんが薬局の前に車をつける。ゆっくりとした足取りで入ってくるその光景が好きだ。茶でもてなす母との短い会話がとげとげしい現代の人間関係をほぐしてくれる。「無事着いた」の後は「美容院に行っている」だった。大都会の美容院に連れて行ってもらい「こんなにしわくちゃになって」と連発しているのだろう。一生謙遜して、一生働く大正の女性だ。