子猫

 動物好きではない僕だが、今日は一日気になっていた。  朝、2匹の犬を連れて散歩をした。新築のリゾートマンションあたりにさしかかった時、ニャオ、ニャオと懇願するような猫の鳴き声が聞こえた。鳴き声の方を見ると、プレハブで出来た現地販売所の床下から、真っ白な子猫が現れた。僕が連れている犬の1匹は結構大きくて、子猫が見たら恐ろしいと思うのだが、その猫は、泣きながらゆっくりとこちらに近づいてくる。あまりに小さくて、2匹の犬は気にもとめないみたいだった。猫は3メートルくらいまで近づいて、哀れな鳴き声をあげ続ける。猫の習性を全く知らない僕は、捨てられた猫が食べ物を求めて助けてくれと訴えているように思えた。僕には懇願されているように感じたのだ。明らかにかなりの意志が働いての子猫の行動のように見えた。飼い猫でも苦手なのだから、道端で遭遇した猫を抱く勇気など僕にはない。何ともすることが出来ずに、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。  相も変わらず、数カ所を忙しく転々とする日曜日だったが、折に触れその猫のことを思いだした。置き去りにしたようで、不憫な目に遭わせたことを後悔したが、僕が一番気になったことは、あれが人間だったらどうなのかと言うことだった。最後の予定を終えて8時過ぎに帰ったが、その時間まで子猫のことを気にかける心以上で、果たして都会で目撃したホームレスの人達のことを思ったことがあるかと言うことだった。時々勉強会で都会に行くが、見かけたホームレスの人達のことがどれだけ僕の心の中に留まっただろうか。愛くるしい動物に愛情をかけるのは簡単かもしれない。しかし、路上で生活している人達に愛情をかけるのは難しい。図らずも、床下から出てきてくれた子猫のおかげで、自分の偽善が暴露された。  夕方、妻はそのプレハブに子猫を探しに行ったらしい。動物好きの人なら当然の行動なのかもしれない。妻が朝、子猫と会っていたらきっと連れて帰っただろう。以前にも同じようなことをしているから想像がつく。残念ながら?猫の姿はなかったらしい。綺麗な猫だったから、誰かに拾われただろうかと都合良く想像して自分を慰めた。  愛情を一身に受けているペットたち。捨てられるペットたち。お金で幸せを買える人。失うものもなくなった人達。僕の目は何が見える目なのだろう。僕の心は何を見ているのだろう。