空き瓶

 ふらふらして、言葉に力もない。ヘルメットがやたら大きく見える。僕が尋ねもしないのに「ご飯は食ってるんよ」と言う。自分が倒れたら、家で面倒を見ている奥さんとお子さんを病院に入れないといけない。家に誰もいなくなれば、今の借家はでなければならない。昔から良く知っているおうちだが、色々な事情があり、ぎりぎりの生活を送っている。それでもご主人が今までは元気だったから何とかなっていたが、その頼みの綱が健康を一気に損ねてきている。加齢もさることながら長年のストレスに身体が耐えきれなくなったのだろう。病気一つで、一気に生活が破壊される。その瀬戸際に立つ人を一個人では何ともすることが出来ない。お大事にと言う言葉が、空々しくて、それ以外の言葉を出せない自分が情けなくなる。  崖っぷちに押しやられている人がこの国にどのくらいいるのか知らない。恐らく何百万人の人が、今まさに落ちようとしているのではないか。すでに落ちた人、崖に向かって後ずさりしている人、含めればとんでもない数字になると思う。欲望に負けて転落した人は別として、自分のせいではなく環境がそうさせた人がほとんどだと思う。生まれた家、育った土地、触れ合った人、進んだ学校、諦めた学校、選んだ職業、就けなかった職業、連れ添った相手、結ばれなかった相手。希望の中で現実が溺れている。夢の中で覚醒している。  ぎりぎりのところで人情も理性も礼節も保っている。悲しいくらい不器用な生き方をして壊れていく。砂浜に打ち上げられたコカコーラの空き瓶だって、一矢報いようと鋭利な怒りを空に向けているのに。