戦慄

 一瞬見ただけだからすべてを把握できなかったが、時々報じられていることだから、特別珍しいことではない。ただ、240錠という数字だけが頭から消えなかった。本人の口から出ているのだから嘘ではないだろうが、良くもそんなに飲めるものだと、物理的な労力に驚く。 安定剤などのヘビーユーザーが問題になっているらしいのだが、240錠には驚いた。逆にそれだけ飲んでも死なないのだから、そんなに安全なものかとも思った。何を期待して飲むのか、何から解放されたかったのか分からないが、果たして大量に飲めば飲むほど効果があるのだろうか。不安感がなくなり一時でもルンルンになれるのだろうか。心地よい睡眠が得られるのだろうか。  普通ならまずは手に入らない錠数だ。どうやって手に入れるのだろう。安易に処方されると言っても、一気にそれだけ飲む人にどうやって供給できていたのだろう。非合法のルートが出来上がっているみたいだが、需要側は命がけだから割に合わないだろう。命がけという判断も出来ないくらい辛い症状があったのだろうか。恐らく初発の時に的確な治療が受けられなかったのだろうが、それでは不幸が形を変えただけだ。小さな化学薬品の固まりに人生を奪われてはたまらない。 「死にたい死にたいと思っているときはいいのよ、死ななければと思ったときはだめだと思った」ある心を病んだ人の言葉だ。経験者でしか分からないこの言葉を聞いたとき、僕は戦慄が走った。真実は傍観者には等身大では理解できない。何分の一も理解できるものではない。僅かな言葉の違いは、当事者にしか分からない。この言葉の違いの重みを職業上の戒めとして記憶しておこうと僕はその時に思った。しがない薬剤師に抱えきれないことばかりが多くて、期待に応えることが出来ないが、哀しみの一つくらい落としていっても良い場所にはなっておきたいと思う。