感想

 先日、玉野カトリック教会で歌った「米原」について、以下のような感想をもらった。

米原」が歌語になりうることを初めて知りました。地理的にも日本列島の真ん中あたり、 冬には伊吹山から吹いてくる風と、しばしば雪で新幹線は遅れたり止まったりする駅と町です。あの雪の降る米原、風の吹きぬける米原、北に西に東に南に、通過、途中下車、そして旅立つ米原、、、、、、特に雪と風の日、米原を通るとき感じていた不思議な感覚を先日の歌でやっと具体的なイメージをつかめた気がいたします。あの歌は「米原」でなければならないのです。都会でもなく最果てでもなく他の地名にはおきかえられない「米原」。若い日に感じる寂しさ、不安、むなしさ、かなしみ等の象徴性が似合う地名です。この年になってようやく気づきました。 

 何か僕の拙い作品より、この感想の方が数段格調高い作品のような気がする。  貧乏学生だった。経済だけでなく、心も貧乏だった。西に向かって故郷に帰っても何の成果も持って帰れないし、東に行ってもまた狭いアパートで孤独な永遠に続きそうな時間との格闘しか待っていなかった。身動きのとれない沈殿した精神を歌ったものだが、落ちるところまで落ちなかったのは、落ちるところまで落ちなかった先輩や後輩がいたからだと思う。来年、再来年の自分を今まさに演じている先輩がいたし、来年、再来年に今の僕を演じる後輩達がいた。誰もが希望など持ってはおらず、銀バエの羽音にさえ飛ばされそうな抜け殻をバトンリレーするだけだった。今日を生きる動機付けに苦しみ、明日を生きる動機付けに見放され、その日その日に終止符を丹念につけていただけだ。その日が曲がりくねってでも終わってくれることだけが哀れな達成感だった。