亀裂

 その気付きというか、発想というか、興味というか、人によって、いや職業によって、いや性格によって違うものだ。 薬を作って調剤室から出てくると、薬を待っていた男性が「このイスは足が折れているね」と言う。折れていると言われても、まだ錆びもせず結構綺麗な光沢のパイプの脚は健在だ。この半年くらい、人が座るとなんだかぐらぐらするから又ねじが緩んでいるのだろうと軽く考えていた。もともとホームセンターで買った安いパイプ椅子だから、クッション部分とパイプを折り曲げて交錯させた4本の脚が交わる辺りのねじがよく緩んで落ちた。でも巨漢が腰掛けることもないから折れるという発想はない。40歳代のその男性はいぶかる僕に、折れている箇所を見せてくれた。僕ら素人が折れるという言葉を聞いたら当然脚の部分が折れると思うのだが、彼はわざわざ薬を待っている間に椅子を逆さまにして調べたのだそうだ。指摘されたところを凝視するとなるほどパイプに亀裂が走っていた。それももう切断されて離れんばかりに。丁度人が腰をかけるクッションを支えている箇所で4本の脚が交錯する辺りだ。だから長い間ぐらぐらしていたのだ。ねじが落ちているくらいなら心配はないが、こと足が折れているとなると何時体重の重みで人が転ぶような事故にもなりかねない。 彼は車の整備士だ。恐らく道具の異常など感覚として分かるのではないか。どうしてここが折れたのかとなにやら説明してくれたが、そもそも興味すら湧かなかった。僕は寧ろ二十年も五感を駆使して仕事をしている人の「職業柄」の異常への探求心に驚いた。その職業柄か性格か実際には分からないが、わざわざ椅子をひっくり返してまでの原因究明の姿に、彼への評価を数段一気に上げた。 そんな彼が夕方又やってきた。今度は手にDVDを持っている。何かと思いきや、チャップリンの「街の灯り」 をコピーしてきてくれたのだそうだ。僕の薬局はしばしばチャップリンの映画を流しているが、それが三つをローテーションしていることに気がついたらしい。だから自分の家にあるのをコピーして持ってきてくれたのだ。忙しく働く奥さんの用事でだけしばしばやってくる人だが、そして口べたで何となく頼りない人に思っていたが、繊細な気配りにこれ又感心した。又評価を数段上げた。言葉が出てくるまで少し時間がかかる人だが、心の中では一杯のことを感じて一杯の想いを持っているのだろうと見直した。  ひょっとしたら僕の心の亀裂も感じて倒れない前に修理してくれたのかもしれない。