発音

 偶然その場に居合わせたと言うだけで、知らない歌の伴奏をギターですることになった。 僕は歌を覚えるのがかなり苦手な方で、勝手なメロディーを覚えてしまったようだ。1週間で伴奏が出来るようにならなければならないので、インターネットでその曲を探し出して、朝から晩まで薬局で流している。ところが自分で歌ってみると、全く異なる箇所がある。元の歌をよく聴いて何回挑戦してももうすでに僕の頭の中に出来上がっている歌になってしまう。おまけに、弦を押さえる指が痛くて、続けては押さえられない。元々思い込み病だし、我は強いし、信念は曲げないしで、歌い手に備わってはいけないものを全て備えている。手強い聞き手になればいいのだが、10数年ぶりに1曲くらい、基本コードの伴奏なら出来るかと、位置取りを間違えそうな1週間を過ごすことになる。  事の発端はこうだ。教会の畳の部屋で4人のフィリピン人が歌の練習をしていた。いいメロディーだったので一緒に唄わせてもらおうとした。ところが英語なので、発音が分からないところが多い。特に分からなかったのが、panteth。パンまでは分かるのだが、その後をどう彼らが発音しているのか分からなかった。1人1人に耳を近づけて確かめても分からなかった。各々、何となく違うように聞こえる。結局、総合的に結論づけて唄ったのが「パンティー」だった。そう歌ったら、最初はくすっと、そのうち大きな笑い声になり、笑いが止まらなくなり全員が畳の上に転がり笑った。息が止まるかと思うくらいおかしかった。言葉が通じない人間同士が、息も出来ないほど笑いあえるのが嬉しかった。その後、僕が伴奏すると申し出た。あの笑い転げた瞬間が僕には宝のように思えたから。いつもは遠慮気味な彼らとその時は一体になれたような気がした。今まで一度も会話したことがなかったその中のある若い女性が、たどたどしい日本語で話しかけてくれた。「なんだ日本語が出来るの?」と尋ねると「少し」と答えたが、僕の英語より数倍通じる。向こうの少しは、僕のメチャクチャと同じレベル。敬虔な神を賛美する歌の歌詞を「パンティー」と歌った僕の失態が、お互いを近づけてくれた。選ばれもせず、見捨てられずもせず、普通が夜に蝉を鳴かす。