さすがにコートは羽織っているが、横から降る雪に顔を背けることもなく、少し下を向いて黙々と歩く女学生の映像は、テレビのニュースを温風ヒーターを背にしてみている僕の貧弱さを悟らされる。温暖を象徴するような土地に住んで、まして温暖化で只でさえ過ごしやすいところがもっと過ごしやすくなった土地の人間からすると、あの映像の中の人達の逞しさに圧倒される。あの人達からすると単なる日常なのだろうが、数年に1度経験するような「大変な日」を数ヶ月、それも毎年過ごすことを考えるとそれだけで、数歩引き下がる。  大きな悪がブラウン管から垂れ流される。潔さは上層で暮らす人達からは消えたのだろう。人を欺くことに罪悪感はない。居直りや居座りは日常だ。恐らく身をちぎられそうな寒風に黙々と足を運ぶ人達の頬の冷たさは、彼らには伝わらないだろう。実は、上層で暮らす人達は多くの人の忍耐で支えられているのに、その人達(忍耐の人達)に当たるのは陽ではなく北風が運ぶ氷の綿だ。