ゴミ

 現代なら、考えられもしないし許されもしない。 毎日家で出来たゴミは、母や祖母が海岸に持っていき、岸壁の上から海に投げ捨てていた。近所の人が捨てる場所は決まっていたから、自ずとそのあたりは盛り上がり干潮のときは小さな古墳のようになっていた。掘れば埴輪は出てはこないが、魚の餌になるミミズは豊富で、僕らはいつもそこで釣りの餌を調達していた。恐らく瀬戸内沿岸、いや海岸線の町では当たり前の光景だったに違いない。  その後牛窓を離れていた間に時代はすすみ、海にものを捨てることは許されなくなった。最近では野焼きもゴミ焼きまでもが許されなくなった。いらなくなったものは田舎も都会と同じように自治体に回収してもらうことになった。自然は循環するものではなくなったから、どこかで強引に流れを断ち切られる。それは個人の手から放れる瞬間か、自治体が回収して焼却する瞬間か、地中に埋める瞬間か分からないが、一方通行の標識しか立っていない。  僕らも一方通行の人生を歩んでいる。ゴミでもないし廃棄物ではないが、いつかどこかで急に流れを切断されることはある。大切な道だがはかない道でもある。精一杯歩んで目的地に無事たどり着ければよしとしなければ。