スイカ

 「今スイカを出荷しているんじゃけれど、捨てるやつを取りに来る?」なんとも奇妙なせりふだが、「すぐ行く」と答える僕はもっと奇妙かもしれない。捨てるスイカでも恐らく見かけで売り物にならないだけだろうからこちらにしては関係ない。甘くて棚が落ちていなければいいのだから。妻がすぐに取りに行って軽四自動車一杯のスイカをもらってきた。当然我が家では食べきれないから、町外からやって来てくれる家族に今日は配ることにした。虫の知らせか偶然か、今日は町外の漢方相談の方が多くて、10数個のスイカが残らずもらわれていった。牛窓のスイカはこの辺りでは評判がいいから、どなたもとても喜んでくれた。あとは予想通り、見かけはまずいが美味しかったと言ってもらえることを期待するだけだ。本来なら県外の漢方薬を飲んでいただいている方々に送ってあげたいのだがクロネコヤマトから堅くスイカは送らないようにと言われているので諦めた。以前漢方薬に隠して、いやスイカに漢方薬を隠して送っていたことがあるのであちらはその事を覚えているのだろう。スイカが割れて大変なことになるケースが意外と多いのだそうだ。 僕が幼いとき、夏休みにはほとんど毎日のように昼の3時に家族そろってスイカを食べた。家の真ん中にあった井戸から冷やしていたスイカを上げて、包丁で切るのは全て祖父の役目だった。僕ら子供は当時祖父が一番エライのだと信じていた。食事も風呂も全部祖父が一番目だった。家の中に順列が明らかに存在していた。スイカをもらう孫達はまるで獲物を捕った親ライオンから餌を分けてもらう子供のライオンのように従順だった。今はスイカ一つで集まる家族は少ないだろう。何もなかった時代なのに、何か確かなものがあったのだろうか。形もない色もない匂いもない、お金では買うことの出来ない素晴らしいものが。  今頃10数軒の家族が冷やしたスイカを食べてくれているかもしれない。捨てるやつが、捨てたものではないやつに大変身してくれることを祈っている。捨てたものではない素晴らしい個性を持っている人達に持って帰ってもらったスイカなのだから。