嘗て少女はその光景を見ることに耐えられなかった。1年後、同じ光景を少女は希望を持って見ることが出来るようになった。お母さんが教えてくれた。 夕暮れ時、地方の小さな駅から下りてくる学生の集団。恐らくお喋りや歓声と一緒だろう。学校に行けない少女はその光景を見るのがつらくて、その時間帯に駅に行くことは出来なかった。ところが1年後、兄を迎えに行った駅で嘗て避けていた光景を目撃した。すると「私も学校に行きたい」と言った。  どうして起立性調節障害くらいでもう学校には行けないと医師に言われたのか僕には分からなかったが、僕は淡々と漢方薬でお世話させてもらった。心臓のポンプ力を強くして、やる気を起こさせれば問題は解決すると単純に考えた。その単純な予想通り少女は強くなった。心も身体も元気になったら、ちょっとだけ同級生より大人になってしまって、学校に行くモチベーションを違う形で失ってしまったが、それはそれで異常でもなにでもない。ちゃんと塾に行って勉強しているから高校には行けるだろう。  優しすぎるお母さんが抑制的にいい距離を作り出している。その距離感がお子さんを救ったのだとも思っている。ちょっとだけ励まして深追いしない。勿論否定はしない。心で10期待しても1しか口に出さない。懸命さが薬局で伝わってくる。その母を持った幸せをお子さんは感じているのだろうかと思うが、きっと感じているだろうと言うことも伝わってくる。  いい親を持ち、いい子を持つ幸せに優るものはない。又そのことによるストレスのなさは何物にも代えられない。そうした親子関係を築いている家庭は結構多い。さりげない言動の中に見て取れる。なし遂げたものとか掴んだものでは量れない善良な関係は他者には見えないが感じ取ることは出来る。いい気がどんどん伝わってくるのだ。どんどん伝染してくれと思うが、えてして病ほどは伝染しない。  心に降ろした遮断機を上げた少女の、駅に駆け込む来春の姿を今から想像している。