あまりの暑さに、早く開けた梅雨を恨む声ばかりを聞くが、この男性の言葉は違っていた。大したことを言ったわけでもないが、見かけに似合わない繊細さをもっているんだと意外だった。 「今年は梅雨が明けても蝉が鳴かないじゃろう、例年なら梅雨が明けたらうるさいくらい蝉が鳴き出すのに、やはり蝉にも梅雨明けが早すぎたのかな」と、傍で聞いていれば何気ない言葉かもしれないが、はち切れそうなつなぎを来て油の臭う体で実感を込めて言うから、何故か響くものがあった。如何にも繊細そうな人が言うのならまだぴんと来るのだろうが、柔道部か相撲部がk-1が似合いそうな人が言ったから、その意外性故に心に留まったのだと思う。  言われてみれば確かにそうなのだ。空はすでに夏満開なのに蝉の鳴き声をまだ聞いていない。どことなく間が抜けた寒暖計だ。鰻登りを演出しても音響による実況中継がない。いわば片手おちの夏だ。まあ、いずれ自然は何処かで帳面を合わせてくるから、あのけたたましさに早晩見舞われるだろうが、今のところ音のない東北の被災地に刺す太陽のようにエネルギーばかりが降ってくる。 山では蝉が鳴かないが、今破れかぶれで鳴いている蝉がいる。破れかぶれになってやっとまともな考え方が出来るようになってはいるが、理由が保身では見え透いている。破れかぶれになられては困る奴らが一斉に包囲網を強いているが、破れかぶれのついでに誰が罪人かさらし者にして欲しい。そんな勇気も気概も持ってはいないだろうから、いずれ森の木から引きずり降ろされるのだろが、せめて抜け殻(蝉退)だけでも後の世に役に立って欲しい。