御神輿

 昼下がり、誰もいないテニスコートの周りを30分くらいひとりで歩き続けた。太陽の下にこんなに長くいることは珍しい。県道をチョイサチョイサと御神輿が若者達に担がれて通り過ぎるのを見送った。恐らく担ぎ手の誰もが何を奉って何を祈っているのか知らないだろう。牛窓神社の御輿はとても重たくて、現代の若者にはとても担ぎ通すことは出来ない。時折担ぐ見せ場以外は、台車に乗せて押す。数キロの道のりだから当然と言えば当然だ。  僕も10数年前、そのお役目が当たった。白装束を貸してもらい、町の若者(?)達と担いだり押したりした。神様を運んでいるのだ。良くは分からないが「ご神体」と言われるものを町中に運んだのだ。丁度そのとき息子の高校受験の年だったと思う。田舎のことだから、また僕の主義で塾などには行かず、ひとりで黙々と問題集を解くのがすべてだった。そんな息子がいわゆる進学校を受けることにした頃だと思う。僕はまさに手の届くようなところにいる神様を運びながら、何度も何度も息子の受験がうまくいくことをお願いした。孤独な努力が報われることを何回も心の中で繰り返しお願いした。  支柱の上に烏が一羽飛んできて、しばらく鳴き声をあげていた。黙々と歩いている僕を哀れんだか、あるいは神様に何かお願いしたか。ひとしきり泣いた後、民家の屋根をかすめて山の方に飛んでいった。緑濃い山が小さき営みを見下ろしていた。