白黒写真

往復6時間。その上、椅子に腰掛けること6時間。正直少々辛くていつまで続くか自信がない。久々に大阪に勉強にいってきた。電車を数度乗り継いで、高層のマンションが林立し線路に迫る中を移動する。朝、眠たいのを我慢して後にした光景と余りにも対称に位置する光景が広がる。これも叉一つの歴然とした現実の営みだけど、この対極に身を投じろとはもう僕の生命力は歌えまい。  幾人かの薬剤師と知り合った。どこの勉強会に行っても僕みたいな極端な田舎の人間とは会わない。ほとんどが都会で頑張っている人達だ。田舎で薬局を維持することは難しいと言うことなのか。僕が人口7000人の田舎で薬局をやっていることに皆さん驚く。そして尋ねられる。「なんでやっていけるの?」と。僕にも実は分からないのだ。その日その日、解決しなければならないことを懸命にこなしてきただけなのだ。明日期待されることを予習しただけなのだ。裏切らざるを得なかった浅はかな知識を修復しただけなのだ。  しいて言えば、青二才だった当時の僕もしかり、この歳になってもまだ未熟な僕を許してくれる環境こそが、僕の薬局の存在を許してくれている最大にして唯一の原因だと思う。この人間関係は多くの人が空中に住む街では有り得ないだろう。薬剤師として嘘もハッタリも言えなかった。皆知っている人達ばかりだから。失敗は許されたが、嘘は許されない。寛容な心で育てられた。  帰り道、一つ電車を乗り換えるたびに、乗っている人達の服装が野暮ったくなる。神戸辺りの洗練された老若男女から言えば時代が一つさかのぼったような感じだ。だけどその野暮ったさのなかに僕は数10年前の青年だった頃の僕の価値観を重ねることが出来る。白黒写真の中の僕は、今でも都会の生ごみが臭う路地裏をうなだれて歩いている。