いつも誰かと、なにかと戦っている。これは多くのかたの相談に毎日乗っていて感じることだ。相談どころか、日常の会話の中でさえそれは窺い知ることが出来る。自分のことを考えてみただけでもそれはうなづける。だから目が覚めた時からもう交換神経神経はビンビンなのだ。いや、もしかしたら眠っている時から 戦いのモードなのかもしれない。  気が休まる時がないとは、まさにこのことを言うのだろう。本来、学校や仕事から帰ったら、現場から開放されるから心も体も落ち着き、ゆっくりと基礎代謝を落としていき、休息のモードに入っていくのだろうが、携帯電話やインターネットで現場と繋がっているから休息が得られない。孤独を癒すのは孤独を愛する自分ではなく、機械で繋がった無機質な烏合の孤独なのだ。  戦っている相手は見えたり見えなかったり、臭ったり臭わなかったり、重かったり軽かったり、強かったり弱かったり、熱かったり冷たかったり、冷静だったり、狂暴だったり。受け入れられるもの以外は全て敵なのだ。戦っている相手は、人間かもしれないし、時間かもしれないし、季候かもしれないし、動物かもしれないし、価値観かもしれないし、経済かもしれないし、病気かも知れない。  敵はそこにあるものではなく、おそらく作ったものだろう。偏狭な心が交換神経を媒体に作り出したものだろう。争わないことは生かされることなのだ。そしてそれが叉生かすことなのだ。