難儀

 それは、恐ろしい光景だった。  午前中、薬局の前に軽トラックが斜めに止まった。調剤室で仕事をしていたから、視界に入る。当然誰かが入ってくるだろうと思ったが、なかなか入ってこない。たまにそういったこともあるので別段気にしなかった。どのくらい時間が経ったのか分からない。数十秒ではなく数分の単位だろう。入ってきた方を娘がお相手していたので声だけ聞いていたが、帰るころになってその人を見た。かなりの老人で、杖をつき歩くのも心もとない。いとまを告げてソファーから立ち上がり薬局から出ていくのもまた難儀だ。僕はふと気になって軽トラックの運転席を見た。すると誰も乗っていない。なんだか不安になった。まさかこの老人が自分で運転してきたのではないだろうなと。ところが老人は薬局を出てから運転席の方に歩いていった。杖をつきながら本当にゆっくりしか歩けないのに、そのまま運転席に乗り込んだ。この光景はショックだった。案の定車はその後また数分経ってから、駐車場を後にした。  とっさのブレーキが踏めるわけがない。娘との会話でも返事が遅れて返ってきていた。判断能力がどれだけ落ちているか自分には分からないのだろうが、口の動きより足のほうが速いとは思えない。なるほど田舎の老人は本当によく働く。日本の食料を支えているのは、この年令の人たちなのだ。だけど、田んぼのあぜ道を、誰も通らないあぜ道を運転するのとは分けが違う。子供が通学の為に歩き、地域の人達が買い物の為に自転車を漕ぐ。1日中車は頻繁に往来する。そんな公道を鉄の塊の凶器が走っては行けない。  自分を見極めるのは難しい。第三者に突然、宣告されるのなら身のほどを知ることも出来ようが、他人はそこまで親切ではない。過ちを犯すまで誰もなにも助言はしてくれない。ところがいったん過ちを犯すと今度は糾弾してくる。他人を守りながら自分を守るしかないのだ。自分を守りながら他人は守れない。  どこかの国の偉い人が引き際を間違った。田舎の老人も間違っている。どちらも守ろうとしたのは自分自身なのだ。