面影

 お化粧をしていないからか、以前の面影は全くなかった。嘗ては薬局に入ってきても時間を惜しむかのように早口で喋り、買い物をして帰って行った。人手が足らず、アルバイトを募集してもなかなか集まらず、どのペンションも家族総出で働いていた。 牛窓にペンションが沢山出来たのは僕が帰ってまもなくだと思う。西脇の岬に集中して出来、それでも需要をまかなえなくてオリーブ園や果ては前島にまで出来た。何事でも同じだろうが、最適な場所から始まり、後になるほど立地は悪くなり最後は地元の人間なら首を傾げるような場所にまで建てられた。  僕は牛窓に帰った頃、商工会から誘われて青年部という組織に加わっていた。名前だけ入っていたくらいの記憶しかないが、一度青年部とペンションのオーナーが集まって会食したことがある。ペンションのオーナーはほとんどが都会から脱サラしてきた人で、牛窓の景色に魅せられて何度も訪れたと言う人達だった。それぞれが都会で活躍していた人達だったので、田舎の商店主達にとっては歯が立たないようなあか抜けたところがあった。協力しあいながら共に発展しましょうと言う集まりだったような気がするが、色々田舎の商法が批判されていたのを覚えている。都会から来た人達にとって、取引をする相手ではなかったようだ。ただ、田舎で生まれ田舎で育ち田舎で生きていこうとしているだけなのに、なにやら劣っているような気にさせられたものだ。  その後ペンションの隆盛は何時頃まで続いたのだろう。薬局に来て欲しいものを何のためらいもなく買っていく、衝動買いの典型みたいな人もいた。ところが次第に僕の所にも来なくなった。ほとんどのオーナーがやってきていたが、一人、又一人と姿を見せなくなった。ペンションの所有者が代わったという話もチラホラ聞こえ始めた。最近では、働きに出ているオーナーが増えた。恐らくお客さんが入るときは、家族がもてなしているのだろう。安定した収入を得るために、オーナーが外貨を獲得しているのだ。勿論地元の商店もそれに輪をかけたくらいのスピードで廃業や主人が外貨稼ぎをしているところが増えた。生業だけでは食っていけない、恐らく日本中何処にでも起こっていることがご多分に漏れずこの町でも起こっているのだ。時代の趨勢に飲みこまれ個人の商売が成り立つ土壌はどんどん失われている。時代を先行するが如く過疎化したこの町の何時か来た道を今全国の市町村が追いかけている。  忙しいながらも身綺麗にしていたあの頃の華やかさに比べて現在は、重ねた年齢による劣化だけではなく必要とされなくなった斜陽のもたらす悲哀を写しているのかもしれない。どの職業に陽が当たり、どの職業が陰になるのか分からないが、激しい時代の流れに翻弄されて、それでも誰もが生き延びなければならない。都会には都会の、田舎には田舎の困難さがあるだろうが、流れに上手く乗れた人達は謙遜を唯一の道しるべとして自制した生き方をしなければならない。流れなんて言うものは岩一つ、雨一つで変わってしまうのだから。面影だけでは開かない明日の扉もある。