合格

 電話での第一声が「すごく調子がいいんです」だったが、僕はそれより前に聞きたいことがあった。彼女の次の声を遮って「入試はどうだったの?」と尋ねた。「合格したんです」と嬉しそうに答えたから、その後は「よかったなあ」の連発だったと思う。こんな場面で僕は往々にして語彙を失う。感嘆詞の連発になってしまうのだ。結構幼い?幼稚?なままなのかもしれない。 2週間前、赤穂線とバスを乗り継いで夕方薬局にやって来た。見たことがない若い人だったから、それも立ち止まって何か言いたそうだったから、僕は買い物ではなく何か相談に来たのだなと感じた。そこで彼女に、軽い相談なら今立っている薬局の中央のテーブルで、深刻な相談なら薬局の奥まった所でと尋ねてみた。すると彼女は過敏性腸症候群と言う名前を口にした。この時点で僕は薬局の隅の机に誘導した。 彼女がぼくの薬局を知ってわざわざ訪ねてくれたきっかけは、すこぶる変わっていた。と言うより初めてのケースではないか。過敏性腸症候群漢方薬岡山市のあるドラッグストアに買いに行ったら、そこでぼくの薬局を紹介されたそうなのだ。ドラッグストアーの薬で過敏性腸症候群が治るものなんて一つもないが、それを知っているスタッフがいたことがすごいと思う。何かを売りつけていれば自分の責任は果たせたと思うのだが、相談に来た女子高校生のことを親身に心配して上げた人がそこにいたってことがすごい。病名だけか、あるいは彼女の症状までを聞いて僕を紹介してくれたのかどうか分からないが、そのスタッフの人が彼女の青春を救ったと言っても過言ではない。  中学校の頃から3~4分に一度おならが発生してお腹が張って痛くて仕方がないそうだ。よくも5年間耐えていたなと思うが、耐えるのも限界で出席日数がもう空前の灯火で高校3年生まで来て、それも受験1週間前になって卒業できないかもしれないと言うのだ。個人輸入で、緊張を解くという不整脈に使う薬を飲んでいるそうだが、実際にそんなことをしている人を見てびっくりした。不整脈の薬は本物の不整脈を作る可能性があり医師は今では滅多に使わない。ここまで追いやられていたのかと哀れになった。例によって僕はどうでもいいようなことを一杯話した。帰りのバスがなくなるまで話した。ティッシュペーパーで何度も涙を拭きながら話した。善良で素敵なお子さんで、こんなお嬢さんを持った両親の幸せを思った。又逆にこの言われなき苦しみを不憫に思い辛いだろうなとも思った。高校生が親に内緒で来たと言うから、漢方薬の値段を言うのがはばかれたが、僕が使いたい薬を全部使うとこのくらいになると正直に言った。すると彼女は、アルバイトをしたお金で薬を飲むのは自由だからと2週間分持って帰った。  バスがなくなったので、娘が岡山駅まで送って行った。同じ苦しみを経験している娘の体験も聞かせてあげたかったから、丁度良い機会だと内心思っていた。漢方薬を飲み始めてお腹の調子がすこぶるよくて入試の時も全くお腹が痛くならずに、学校にも行け、昼飲むのを忘れた時だけ少しよくない程度になったと言う報告は、勿論合格したという大きなお土産付きは僕ら家族に歓声をもたらした。娘は特に喜んでいた。車の中で彼女が話していたことに心を痛めていたから、余計嬉しかったのだろう。中学校の時、クラスの男子に臭い臭いといじめられていたそうなのだが、彼女は彼らを責めるのではなく、心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていたそうなのだ。なんて痛々しい数年だったのだろう。僕も彼女から直接この話をうち明けられていたら、一緒にティッシュペーパーに手を伸ばしていたかもしれない。人を責めずに自分を責めてしまう善良さが痛々しい。  薬局で話した時、忘れられない彼女の言葉と表情がある。僕がどうせ大学にはいったら勉強なんかしないのだからといつもの持論を言うと「そんなのだめですよ、私は真面目ですから勉強しますよ」と凛として答えたのだ。その時の厳しい表情が本心で言っていることを伺わせた。まぶしいくらいその時の彼女は輝いていた。今期末試験中らしくて「合格したのだからどうでもいいが」って言う僕に「卒業できなければ困りますから」と言う彼女の声はとても穏やかだった。  今日、僕はとても「幸せ」