恵み

 僕は今、ある女性の漢方薬を作っている。カルテに貼ってある写真は、僕の母と前島に夕陽を見に行ったときのフェリーの船室での写真だ。二人とも微笑んでいて、知らなければほんとのおばあちゃんと孫のスナップ写真と見られるだろう。 この女性は、ある超有名大学の医学部をここで卒業し、ある県の大きな病院で研修医になる人だが、この女性が素晴らしかったのは、僕の薬局に来たときに、来る人、来る人に「いらっしゃませ」と声をかけていたことだ。僕の相談机の前に腰掛けているのだから、来局者と視線を合わすことはないのだが、小さな声で必ず挨拶し、帰り際にも声をかけていた。  勿論僕が健康のお手伝いをする上で全力を傾けるのは相手が誰でも同じことだ。これは自尊心の問題で、薬が効かないと言うことは屈辱に等しいからなのだ。僕が彼女に一生懸命になったのは、薬局で見た彼女の姿と、何十回も電話で話したときの彼女の態度による。この人を元気にして、立派な医者にすれば、何十万人の人がこれから彼女の医師人生の中で助けられると思ったのだ。恐らく一つの県から、彼女の大学の医学部に毎年一人合格するかどうかくらいの難関だろうから、彼女はいわゆる勝ち組の典型だ。そのまま彼女が順調に医師になっていたら、僕は腕は信じても人格は信用しない。彼女を襲った不調があって初めて、彼女は教科書や試験問題では解決しないことに遭遇し、その面では下からものを見る状態を余儀なくされたと思う。その視点こそが、彼女が得た最大の恵みだ。これから彼女が対峙するのは、名もない普通の患者さん達。毎日がしんどくて辛い人達。努力の割に報われることが少ない人達ばかりだろう。その人達に初めて本当に寄り添える原体験を彼女は得た。こらから先、彼女の口から出る患者への優しい言葉は、本心以外何ものでもないだろう。  田舎の薬剤師がお世話できる人の数など知れている。ただ、彼女が立派に医師の道を歩むことにより、その知れた数が、何十倍、何百倍にも広がると思う。ひょっとしたら、知らない街で、僕の漢方薬を飲んだお医者さんが、僕の漢方薬を飲んだ人を診てくれるかも知れない。いつか彼女が、勿論匿名で過敏性腸症候群は治るんだと勇気を与えてくれたらと思う。彼女以上にその資格がある人を知らない。