家島

 西日本の旅とかなんとか言う土曜の朝のテレビ番組で、姫路の沖にある家島の特集をしていた。その名前は時々牛窓でも聞くから、ひょっとしたら牛窓から見えるのかもしれない。特に海水浴場からは瀬戸内海の東の方がよく見えるから、耳にする機会があったのかもしれない。ただ具体的なことは何も知らなかった。遠くにかすんで見える島、それ以上のものではなかった。  採石で有名ならしいが、番組の中で興味深い言葉を聞いた。家島には取れたての魚を道端で売る露天が何軒かあるらしい。日よけのテントくらいの装備だから簡単なものだ。そこで売られている魚は生きている。今し方取ってきたものばかりだ。露天の奥さんがアナウンサーに言った言葉が興味深かった。「この島では死んだ魚は猫でも食べん」気負った言い方ではなく、さらりと口から出た言葉だ。確かに買い物客が来たら器用に包丁の先で一気にしめていた。一瞬の早業だ。こうすれば生きているのと同じ味がすると言っていた。牛窓でもよく見る光景だから、恐らく家島の人と同じような魚の味を僕達は楽しんでいることになるが、となると都会の人はどうなんだと考えてしまった。  都会の人がどこで魚を買うのかあまり分からないが、恐らくスーパーか魚屋さんだ。魚屋さんがまだ残っているのか分からないが、ほとんどこの2つのパターンだろう。水揚げされた場所からどの様に運ばれてくるのか分からないが、生きたままというのはかなり少ないだろう。運が良ければその日の朝、普通は前日くらいに水揚げされたものを冷凍で送ってくるに違いない。ひょっとしたら前日どころかそれ以前のものも考えられる。となると、都会で売られ、買われている魚は猫も食べない代物ばかりと言うことだ。そんなものを美味しそうに頂いているのだから、家島の人達にとっては考えられないことだろう。折角のEPAも台無しだ。  都市部には都市部の、田舎には田舎の良いところがある。圧倒的に都市部の魅力がうたわれていた時代が過ぎて、両者が段々近づいてきたような気がする。一つ方向に向きやすいことであまりにも多くを失ってきたこの国にとって、そうした価値観の変化は好ましいことだ。アホノなんやらが出てきて生臭くなった今、鮮度抜群の魚を食べることが出来る幸せを大切にして欲しい。