存在理由

 いったい、この人達は東京にいた頃どうしていたのだろうと思う。実績は勿論、肩書きや学歴も田舎では滅多にお目にかかれないようなものを持っているのだが、やたら僕の薬局を利用してくれる。3世代に渡って、色々な困り事を、多くは漢方薬でだがお世話させてくれる。 あちらでかかっていた病院の名前を聞いたらおこがましくてとても手が出せないような人なのだが、ほとんどの困り事を相談してくれる。最近では開口一番「○○も漢方薬で治せますか?」と尋ねてくれる。僕にとっては当たり前のことでも、その方達にとっては新鮮ならしい。恐らくどこにでもあるようなたたずまいの薬局で、それも半農半漁の田舎でどんなトラブルの相談にも一応応えられるのが物珍しいのかもしれない。  都会の人達がどの様な治療形態をとっているのか知らない。大小の病院やドラッグストア、旧来の薬局などがひしめき合う中で、どの様に各々を利用しているのだろう。そのどれも最高峰のものが揃っている中で、何を基準に選択しているのだろう。  田舎の人に出来ないと言うのがいやで、逆に出来ないだろうと言われるのもいやで漢方薬を懸命に勉強してきたが、今では利用してくれる人は都会の人が圧倒的に多い。相対的に人口が多いのだから、当たり前と言えば当たり前だが、交通や通信の発展が後押ししてくれた。それらはこの田舎で、この田舎の作法で仕事に打ち込める環境も残してくれた。何ら妥協も迎合もしなくて仕事が続けられるのは有り難い。存在理由を失ってまで仕事をしたくない。 折角牛窓に住んでくれている人だから、又不思議なくらい善良な家庭だから、花の都大東京の薬局には負けない漢方薬の力をお見せしたいと思っている。