免許証

 昨日、僕はある青年から「本当に、本当にありがとうございました」と言うメールをもらった。ありがとうの前に、1回本当にをつけてくれるだけで十分意は伝わってくるのだが、2回も繰り返されればもったいない気がする。僕がしたことなど本当にを1回でもつけてもらえば十分だ。まだ道半ばだから、僕のほうが恐縮してしまう。  彼は運転免許証をとる為に自動車学校へ行く決心をした。これだけでも素晴らしい。彼にとってみればかなりの決断だったに違いない。途中何度か挫折しかけたみたいだが、その都度不安な気持ちをメールしてきた。僕は彼の症状もまた考え過ぎ病だと説明を繰り返した。結局、昨日合格した。運転免許証を取ればどれだけ彼の行動範囲が広がるだろう。それを持っているのと持っていないとの差はかなりのものだと思う。そのことによって引き込むものがどれだけ増えるだろう。持たなければ遭遇するものが、それは物かもしれないし、機会かもしれないし、人間かもしれないが、どれだけ減るだろう。  あきらめなかった彼に僕は昨夜一人祝杯をあげた。ノンカロリーのビールはまずかった。カロリーがたくさんあっても美味しい方がいい。それはさておき、僕らは多く、わが心と戦っている。こんなに近くにいても正体が分からない、いや、分かりたくないわが心と戦っているのだ。世間の人はおおむね善人だ。自分を攻撃してくる人など滅多にいない。ただ、わが心は自分自身を蝕む。この素晴らしいまさに人間たる所以そのものの心と言うやつが、時として自分自身に牙を向く。悲しくて、いとおしき心。このわが心をもう一度信じて欲しい。そして凛としてわが心をしたがえて欲しい。  彼は運転免許証を手に入れたばかりではなく、行き帰りの混んだ電車の中の状況も克服できそうだ。「あれ、なんでもないジャン」と思ったそうだ。とてつもない大きな副産物も手に入れそうだ。僕の言う、やりたいことをやりながら治す、彼が実践した。