もう、涙をこらえる必要がなくなった。泣くのが恥だとは思わないから、泣くのを我慢するだけの目的で懸命に対象にのめりこまないように意識を散らす努力も必要になくなった。そもそも若い時は、哀しみは自分だけのものであり、他者に対する感情で涙を誘われるようなことはなかった。テーマはいつも自分に向いていた。自分が人よりなにかに秀でているか、人より恵まれているか、多く持っているかなど、悲しいかな他者との比較だけで生きていた。涙はいつも喪失と関わっていた。  この歳になるとふとしたことに涙を誘われる。それは失ったものに対してではなく、得たものに対してが多い。人の優しい言葉、行い、努力している姿、荘厳な景色、動物の自然な姿、全て与えられたものなのだ。失うことへの怒りではなく、与えられることに関する感謝が素直に涙腺をゆるませる。  僕にとっては遥かかなたの追憶でしかないが、溢れる涙をこらえられず、それでも尚心を閉ざそうとする青年達。哀しみの向こうに涙の海が広がっているのだろうか。今の僕には、もはや越えなければならないものはない。用意されたものは容易なものばかりだ。困難を乗り越え達成感を味わうこともない。ちょっとした親切、ちょっとした励ましが、帆に風をはらませても、風に追いつくことは決してない。