田植え

 昨日、ある皮膚病の漢方薬を飲んでいただいている方が、帰りしなに「これで明日からのお田植が出来る」と言われた。2週間前、かなり痛々しい手でこられて、それが改善して痒くも痛くもなくなったから喜んでくれたのだ。ぼくはその「お田植」と言う言葉がとても印象深かった。田植えと言う作業に対して「御」と言う言葉をわざわざつけて敬っているのだ。おそらく古来田植えはかなり神聖だったに違いない。そう言えば田植えに合わせて踊りや唄、あげくはお祭りまでくっついている。人間を生かしてくれるものへの畏敬の念を「御」と言う言葉に受け継いでいるのだろう。  彼女は水当番だとも言っていた。溜め池の堰を明日はずして、いっせいに田んぼに水をはるそうだ。池に近い田んぼから水が張られる光景は、見物すればおそらく壮観なのだろうと思った。70歳を過ぎているその女性の、日常の一光景を興味を持って聞いた。何気なく食べている米を作るのに、どれだけの心と労働を費やしているだろう。下界を見下ろすようなところに住み、下界を見下ろすような精神構造の人間たちに食べさせるものではない。汗をかき、哀しみ、傷んだ人達の口にこそ入るものだ。謙遜を知らない人間が口にするものではない。