窒息

 なんとなく以前来た時と、見下ろす景色が違っていた。
 梅が満開になる頃に、毎年梅の木の下で和太鼓の演奏会が開かれていた。さすがに去年と今年はないが、梅は季節が来れば花開き、機が熟せば満開となる。備前焼の窯元である山麓窯は、一つの山すべてが自前の土地かと言うくらい広大な敷地を誇り、その中に広い展示即売の建物があり、多くの梅や桜の木が植えられよく整備されている。今日も三々五々、梅ファンが訪れていた。知る人ぞ知る穴場なのだ。
 小高いところにある梅の庭園から、国道を挟んだところに大きな池を見下ろせる。借景としては申し分ない。どのくらい大きな池かと言うと、目算だが楕円形で100m×200mくらいありそうだ。ところがその広い池の水面にまぶしく太陽の光が反射しているはずなのに、なぜか光どころか水もほんの一部を除いて見えない。見えるのは小さな銀色のパネルがきちんと並べられている光景だ。遠いから実際の大きさは分からないが、寸分の狂いもなく並べられていた。
 そう、池の8割くらいが、ソーラーパネルで覆われていたのだ。水面に浮いているのなら、波で少しは動くと思うのだが微動だにしない。目を凝らして見ると柱のようなものが見えたから、ひょっとしたら底から支柱で支えているのだろうか。
 1年に一度しか訪ねない人間の感性を満たしてくれる必要はないが、頭にすぐ浮かんだのは、あの池は誰のものと言うことだった。個人のものだったら、とやかく言う筋合いのものではないが、もし公が所有しているのなら、何のためにあんなことをしてしまったのだろうと思った。わずかな電気のために、池を窒息させる必要があったのだろうかと思った。
 国はもちろん地方自治体まで、志のなさは極まっている。落ちぶれる一方のこの国を、低劣な政治屋がますます食い物にする。