感性

https://www.youtube.com/watch?v=WeErhXzEjqc

 歳を重ねるにしたがって、感性の変化があり、気が付かなかった自分から脱皮できるたびに小さな感動を覚える。若い頃はもちろん、壮年期にさえも見向きもしなかったようなことに心を奪われ、感動するような機会が少しずつ増えた。
 しかし、今日分かったことがある。残念だがまだまだ修行が足りない。いまだ小学生の頃の感性から抜け出れていない。ひょっとしたらこの分野は一生分からずじまいになるかもしれない。
 何がわからないと言って、花の名前ほどわからないものはない。たくさん知っている人が時々いるが、もうその方は僕にとっては異星人だ。どんな機会があって覚えたのだろうと、ほとんど羨望の眼差しだ。
 神崎緑地は、車で15分くらいで行けるところだが、梅が有名だ。僕は数年来通っている。もちろん梅の花を楽しむためではない。単なる善意の「足」だ。
しかし、もともと興味がない分野だから満開の時にうまく案内できたことがない。今までは自分のスケジュール(漢方研究会 和太鼓コンサート)を最優先していたから、盛りの時に案内できたことがないのだ。せっかくの好意も、「気を遣う」ことが苦手な国の人にとっては「オトウサン ハナ キレイデナイ」で済んでしまう。
 今年は研究会もコンサートもないので、日程に縛られることはない。そこで、今日時間を見つけて一人緑地を訪ねてみると、駐車場には車がいっぱいで、公園の中もたくさんの人がいた。そして近づくにしたがって赤い梅の花がかつて見たことがない数で咲いていた。一本の木に近づき間近で見てみると、花が開いていると言う感覚ではなかったが、辺り一面が同じ色で飾られると壮観だ。
 それを確認すると僕は急いで車を走らせ帰宅しその後「仕事をした」
 梅の木のそばにいたのはおそらく数秒。来週あたり案内をしたら喜ばれるだろうことだけの確認作業だ。残念ながら今だ花を愛でる心は育たず。