スコップ

都市部に住んでいる人にはピンと来ないかもしれないが、田舎では狸がやたら増えている。増えていると言うより人間の世界に近づいてきたのかもしれない。本来の生息地が開発によって壊され住むところを失ったのかもしれない。彼らにとっては人間は巨大な動物だから恐ろしいと思うのだが、最近では逃げることもしない。  10数年くらい前から急に狸が人里に現れるようになった。当時は丸まるとして愛らしい姿になんとなく共感を呼んでいたが、頻繁に遭遇するようになると珍しくなくなり、ありふれた光景に転落した。ところが最近狸に異変が起こっている。以前のように丸々と肥えた狸に遭遇しないのだ。毛がまだらに抜け落ち、痩せていかにも病気のように見える。何か皮膚病かなと疑わせるような姿なのだが、ここに来てもっと深刻な狸を見かけるようになった。それは全く毛がなく骨と皮だけにやせこけているのだ。どう見ても狸には見えない。むしろ狐のように見える。スキンヘッドの狸は見ていて気持ちが悪い。  昨日、道を挟んだ所にある民家の庭から、その狸が道路へ出てきた。そして道を渡ろうとするのか、歩きかけるのだが、すぐ倒れてしまう。何回か繰り返すが、結局は数十cmしか移動できない。車が頻繁にとおるのでひかれるのは時間の問題だったが、狸を避けるために車が急なハンドルを切るのが続いたので仕方なく狸を道路から庭に返すことにした。僕はスコップを持って狸をすくって庭に捨てようとした。至近距離で見るとますます気持ち悪い。身体はスキンヘッドで目はつぶれていておそらく見えていないと思う。ほとんど憔悴しきって死にかけなのだと思うが、僕が差し出したスコップを噛んで離さなかった。持ち上げると口でスコップを噛んだまま身体がぶら下がった。反射の行動かどうか分からないが小さな動物の本能を見たようで気持ち悪かった。小さく鋭い歯がたくさん並んでいて、スコップを噛んだ時に歯の感覚が柄まで伝わってきた。  狸に起こっている変化の原因を知らない。何かの病気が蔓延しているのかもしれない。でもそれはありうるのだ。狸がおそらく毎日食べているのは、人間が食べている物と同じなのだ。街中に毎日出てくるのは毎日の餌にありつけるからだ。おそらく人間なんかよりずっと体重が軽い狸にとって、人工的な成分が毒になっているのだ。残飯を毎日漁りに出てきては、人間と同じ食事をする。これでは自然な動物は持たないだろう。調味料、防腐剤、着色料、要は石油を毎日あの小さな身体に入れているのだ。持つはずがない。免疫機能がやられたのか、ホルモン系がやられたのか分からない。でもあの衰え様は尋常ではない。イギリス国内でロシアによって毒殺された諜報部員の最期の写真を僕は狸を見ながら思い出した。まさに種まで破壊されたような豹変振りだった。必死に噛みついたままスコップから落ちなかった狸に噛まれたらとんでもないことになるなと感じた。どんな菌を持っているか分からない。正視に耐えない不気味さがあった。  これはいずれ人間にも起こりうる現象だろう。腐らない食べ物、腐らない飲み物、僕らの回りには便利で不自然なもので溢れている。いずれ人間の肝臓も限界に達する。その時僕らは、あるいは僕等の子孫は、スコップに噛み付きぶら下がるのだ。