謙遜

Jへの手紙  聖書の朗読は、少しは緊張しましたが、おそらく人並みの緊張でしょう。もうこれでトラウマであったことを考えないことにします。40年の疑問にやっと、答えが出ました。心のトラブルを克服するのは現場しかないと言う理論が正しいことを証明したかったので、これで十分です。治るのは現場をより多く経験するしかありません。僕の漢方薬はその過程での補助です。ああ、僕は酔っ払えば、きっとうまく読めるのではないかと、前々回の朗読の時に感じました。現代治療はそれと同じです。抗鬱薬や安定剤は、本来砂糖以外は通さない筈になっている脳に入っていける薬です。アルコールも同じです。麻痺は治るとは程遠いですね。酒か薬の違いはありますが、根本は同じです。  昨日も朗読の順番を待っている間に、本読みのことが何度も脳裏をよぎりました。でも僕は今何を考えるべきか、するべきかを考えました。自分がうまく聖書が読めるかどうかなど取るにたらないのです。この年令で自分がなにかが出来るかなど問題ではありません。人のために何が出来るかを考えなければなりません。なのにそんな自分に落胆しました。大切なことは僕が幸せになることではありません。僕より年令が下で、僕がたどったと同じ道を歩いている人達を救うことです。  僕が青春の落とし穴に落ちて失ったものと、得たものの比較では、比べ物にならないくらい得たものが多かったです。そして一番大きな得たものは、「謙遜」です。