お母さんへ

あるお母さんへの返信  高2の古文の時間、本読み中に、突然声が震え出しました。それまで僕はどちらかと言えば人前が得意だったのです。岡山の高校に下宿して通い出し、高2の時にミス操山(高校の名前)と同じクラスになりました。それで、いいところを見せようとしたのでしょうか、声が震え、みんなの前で先生に指摘されたのです。40年前のことです。今でもその時の情景は鮮明に覚えています。その後、本読みが当たる授業はそっと校門から抜け出ていました。勿論、授業は受けたかったのですが。  大学に入っても英語とドイツ語の授業は苦痛そのものでした。しかし、大学はさぼっても卒業できます。当たることは逃げれば回避できます。しかし、一生人前にたてない人間になるのかと思って、苦悩しました。そこで考えたのが当時はやっていたフォークソングを歌い人前に立つって言う荒療治でした。歌は別に好きではありませんでしたが、当時は多くの若者が普通に歌っていたのです。あるコンサートに応募し、自分を追い込みました。僕の古い方のホームページに詳細は書いたような記憶があります。以来歌うことに限っては、どんなに多くの観衆の前でも大丈夫になりました。  牛窓に帰ってきて、漢方薬を始めるようになって、講演会にも時々招かれて、話をします。「牛窓から来ました、ペ・ヨンジュンです」「牛窓福山雅治です」どちらかを自己紹介に使います。そうすると皆さん一瞬にしてくつろいでくれるので、2時間くらいしゃべり続けられます。くだけた言葉と笑いがあれば十分対応できます。  でも、ただ一つ僕には克服していないものが残っていました。人前で本を読むってことです。それだけが出来ないものとして、いつも心の奥にしっかりと沈殿していたのです。 それさえ出来れば、感情のおもむくまま、自制することなく自由に生きていけるのにと何度思ったでしょう。ありのままの、臆病で、神経質で暗い自分のままで過ごすことが出来たらいかに楽でしょう。 大人になったら人前で本を読む機会なんてありません。人生で唯一やり残したものとしていつも見えないプレッシャーに襲われていました。これを克服していないことがいつも負い目として感じていました。  一昨年ある神父様に出会い、洗礼を受けクリスチャンのなりました。それはそれで良かったのですが、何とミサには必ず聖書朗読があって人前に出て読むのです。これには参りました。でも、やり残していたことが解決できるチャンスでもありました。皆さんに作っている処方を初めて自分で体験するチャンスが来ました。ドキドキはしましたが、何と40年ぶりに声がふるえずに聖書が読めてしまったのです。これは感激でした。以来もう何回も読んでいますが、それなりに緊張はしますが、人に気がつかれることはないと思います。寧ろ僕なんかよりもっともっと緊張している人が多いことにも気が付きました。 最初の時だけ漢方薬を飲みましたが、二回目以降は飲んでいません。一度成功すれば後はそのまま行きます。本読みもパニックも、やはり克服したい気持ちさえあれば大丈夫です。 薬に頼って、一度成功することが大切です。知らない間に肝っ玉が据わってくるような薬と、予期不安を改善する薬をお嬢さんには作りました。きっと、トラウマから解放されます。ただし治るのは現場でですよ。 ヤマト薬局