気持

 完治宣言を出してもいいくらいになったから漢方薬の服用は終了し、「又困ったら」と言う、多くの完治者が用いる言葉でお別れした後、以下のようなメールが届いた。

 ヤマト薬局様
お返事をありがとうございました。
お優しいお言葉に感謝しております。
また、心強く思います。
ヤマト薬局様にお世話になることを決めたのは
岡山の薬局さんだったからです。
父は牛窓の出身でした。
牛窓の海のように穏やかに
毎日を送れたら、と思っております。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
             〇〇

 関東在住の方が、お父様の故郷の薬局を選択してくれたことが嬉しかった。牛窓出身というところは奇遇だし、お嬢さんが僕の薬局を選択してくれたことは縁を感じた。理由はわからないが、なんとなくセンチメンタルになって、このメールをいただいた夕方ごろからいろいろな思いが巡って来た。
 人口がどんどん減って、県南には珍しい過疎地で薬局を維持するには、町外から相談に来てくれる人を増やすしか仕方がないと、これは僕が40年前に牛窓に帰ってきてからの永遠のテーマだった。そのためには確かな効果を感じてくれる漢方薬を作ることができなければならなかった。幸い父が薬局製造業という免許を取っていたから、僕も薬局製剤を作ることで、市販の漢方薬より効果が期待できる武器を持つことができた。漢方薬の知識のほとんどは、縁あって教えを乞うことができた先生にいただいた。その先生の知識は、実際に患者さんの不調をかなりの確率でとることができる本物だった。勉強お宅の僕は若い頃いろいろな「有名な先生」の講演に出かけたが、その多くは売名行為に近いような、メーカーの手先のようなものばかりだった。そんな中で唯一再現性のある知識を与えて下さったのが僕が師事した先生だ。おかげで僕は、商売をする必要がなくなり、望む人に漢方薬を提供することができた。消費者が圧倒的に少ないという田舎のハンディーは、僕に危機感を与え、勉強と誠実さを与えてくれた。
 がむしゃらに勉強してきて、いったい僕はこの業界でどのくらいのところにいるのだろうと考えることが多くなった。と言うのは体力がかなり落ちてきて、これ以上は無理という日が時にできるのだ。所詮田舎の暇な薬局なのか、それとも結構健闘しているのか、僕には比較するものがないから分からなかった。これ以上体に鞭打って頑張るべきか、この辺で減速するべきなのか、正直分からないのだ。
 又僕が目指してきた、7割の方に喜んでいただくという目標は、いったい高いのか低いのかも分からなかった。漢方の世界にも有名店というものがあるとしたら、どのくらいの確率で喜んでいただいているのか知りたかった。効果を感じてもらえなかったら僕は結構落ち込んで体調にまで響きそうなので、どのあたりで同業者は納得しているのか知りたかった。
 そうしていく人かのこの業界に精通している人たちに尋ねてみた。すると繁盛店といわれている漢方薬局の1日あたりの相談者数や役に立てれる確率などを教えてくれた。その答えは僕には唖然とするものだった。それは僕にむきになって頑張る必要はないと教えてくれるものだった。そうすると気が抜けて、交感神経の緊張を保つことができにくくなっていた。
 そんな時にいただいたのが上記のメールだ。岡山(牛窓)の薬局だから信頼してくれたのだと思うと、僕の抱いていたコンプレックスが、長所に思えてきた。勉強しなくても1日何万人もの人が店舗の前を通る立地なら、営業的には成り立つ。だが田舎の薬局は実力と誠実さしか武器はない。50歳前後の相談者のお父様だから80歳前後の方だろう。牛窓を早く離れた人なら僕を知らないだろうが、僕の父は知っているのではないか。又ヤマト薬局そのものは恐らく知っているのではないか。そんなことを考えていたら、最近仕事のモチベーションを維持することが難しくなっていたのに、俄然やる気が沸いてきた。舞台役者のように舞台で倒れるのをよしとするべきなのではないかと気持ちが高ぶってくる。もうこのくらいが田舎では限度と悟りながら、体調が改善することに貢献できる喜びはやはり捨てがたい。
 1通のメールに、気持ちが揺れる。