40年以上経っているのに、その間数回しか会っていないのに、恐ろしいほど考えが一致している。似ているどころではなく、ほぼ一致している。それはそうだろう、学生時代、僕の価値観が作られる上で圧倒的に影響を及ぼした先輩だから。
 世のお祭りムードに対する違和感だが、僕もずっとそれを思い続けている。仕組まれた風潮に嘔吐しそうだ。現代まれに見る汚い人間が演出し、己の欲望を満たそうとしている。それに簡単にのってしまうアホコミの本性見たり。国民の軽薄さ見たり。現代最も落ちこぼれているような人間でさえ、そのことに気がつかない哀れ。
 先輩の考えを書いた文章が送られてきた。上述の一致点のほかに、もうひとつの一致点。
 「外国人観光客(お金持ち)に対して,おもてなしなどと言ってぺこぺこしている〇〇です。駅周辺にはホテルが林立しています。40年前とは変わり果てた〇〇の街。外国人が闊歩する〇〇の街です。ゴロゴロ、バケッジがうるさい〇〇の街です。欠食児童、貧困家庭が多い〇〇です。市を挙げて改元を祝う〇〇です」
 40年前に、1年先に卒業した先輩が職を得た街だ。僕も先輩の借りたぼろ家に遊びに行った。ほとんどその頃の記憶は消えているが、目が覚めたら小屋(家)の前が一面雪景色だったのを覚えている。夜中に深々と冷えた。戸外に寝ていても同じくらいの隙間風に、若さだけで耐えていた。あの街に今、まるで京都のように、まるで競い合って外国人を誘致している街のように、ぞろぞろとゾンビが徘徊しているのかと思うとぞっとする。声をあげなきゃ、日本人が日本人によって底辺に押しやられる。