ビオフェルミン

 見たことのない若い女性が、シャッターを開けるとすぐにやって来た。「ビオフェルミンを下さい」と頼まれたから、大きいのと小さいのとどちらが必要かを尋ねたらすぐに答えが返ってこなかった。薬を指名したのに大きさに迷うから「どうしたの?」と尋ねてみた。すると彼女は今朝から下痢をしていると答えた。吐き気や腹痛はと尋ねると両方あると言う。「回りに貴女みたいな症状の人はいなかった?」と尋ねると、子供がそうでしたと言う。こんな会話は、薬を販売する時に当然必要だから、彼女と偶然交わした特別なものではない。僕はさりげなく会話することによって間違った選択がなされていないかどうかを確かめる。長年薬局をやっていると当然身に付くものだが。 ここまで症状が分かれば「ビオフェルミンでは絶対効かないよ」と言わざるを得ない。「もしよければ3日分薬を作るよ」と言うと「どのくらい時間がかかります」と言うから3分と答えた。通勤途中に寄ったらしく、嘔吐下痢で仕事に行くのだから見上げたものだが、気の毒過ぎる。僕だったら起きあがることも出来ないかもしれない。いくら若くても仕事なんか出来る状態ではないだろう。僕が無造作にビオフェルミンを売っていたら彼女はいくら待っても効きめがないまま辛い1日を送る羽目になっていた。病院に行く時間がない人が、ドラッグストアで自分で薬を選択せざるを得ないとしたら余りにも気の毒だ。便利を買っているのかもしれないが、便利の裏で多くの損もしている。  僕が調剤室に入っていこうとすると「漢方薬ですか?すごい」と言ったが、僕には何がすごいのか分からなかった。今初めて漢方薬を飲む体験をすることがすごかったのか、症状を聞いて薬を作ることがすごかったのか。別にすごいと言うほどの仕事はしていない。人間が本来持っている自然に治る力、自然治癒力に完全に依存しているだけだ。死に病は一生に一回だけ。そのほかのものは治るか共存できるのだ。  もしすごいという言葉を使うなら、線路に転落した女性を助けるために、自分も線路に降り近づく列車にとっさの判断で女性を線路上に寝かせた若者こそ「本当にすごい」。