無駄

 ついに言ってしまった。黙っていればよかったのだが限界だった。 市の職員が詳細に渡って説明してくれるのだが、数字の羅列だからさっぱり分からない。ロシア語くらい分からない、いやいやタガログ語くらい分からない。要は何一つ分からないのだ。何ページにも渡る説明は、役所言葉と数字だけ。これでは眠気も誘わない。まるででくの坊のようにその場を構成するだけだ。いなくてもいいが、いなければいけない、そんな空気みたいな存在にはもう耐えられなかった。  いくら数字を上げられても、日本中で国保財政は破綻寸前なのだ。それはそうだろう、国民が収めた、いや最近は確信犯的に納めない人もいるし、職や収入が無くて納めたくても納めれない人もいるが、保険料を製薬会社や医師会、歯科医師会、薬剤師会、柔道整復師会などが如何に多く頂戴するかを必死で争っているのだから足りるはずがない。おまけに、ちょっとの不調くらいで病院に駆け込む人が一杯いるのだから、財政が持つはずがない。職員が並べる数字はその具体的なものなのだろうが、そんなもの聞かされてもなにも打つ手がないのだから仕方がない。市町村レベルで何かを論じてもそれが上に届く保証は全くないし、そんな気配すらない。市町村はこんなに上の言うがままかと呆れる程だ。  「数字はさっぱり分からないから、日本語で、こんなことに困っているからとか、こんなことを企画したいとかを言って」とお願いしたのか居直ったのか、語調はちょっと激しかったかもしれないが、それでも自制したつもりなのだ。分からない説明をされ、有識者に賛同を得ましたというお墨付きを与えては申し訳ない。数年同じことに耐えてきたがもう限界だ。年に2回、このような会合に出席すれば1万円か2万円もらえたと思うが、僕は1円分の仕事もしていない。丁度僕の正面に、合併前の助役さんだった人が座っていたが、そんな人こそ適任で、僕などを選ぶ必然性がない。きっと何かの規約で決まっているのだろうが、隣の歯医者さんも毎回苦痛だろうなと同情する。医師の代表などもう数回欠席しているから、もうとっくに悟っているのではないか。  僕自身の存在はその場で全くの無駄。是非無駄を省いて欲しい。会場までの往復の時間を合わせて3時間、これは僕にとっても全くの無駄。蜃気楼が見える北陸の街からある女性がその時間に電話をくれていた。その電話に出られなかったことが悔やまれた。無駄が無駄を呼んで、ダムになった。