片隅

 朝早い教会のミサは人も少ない。前から2列を小さな子供たちが占めている。恐らく幼稚園から小学生の間の子供たちだろう。20人くらいはいるだろうか。1時間のミサの間も静に儀式にしたがっている。数人の大人がその中にいて、世話をしているのが分かる。式の最後の辺りで、一人一人の頭に神父様が手をのせ「神の祝福を」と言われた。  この子達に親はいない。死に別れか生き別れか知らない。しかし、僕は遠くから眺めていて今彼らがとても大切にされているのが分かった。世話をして下さる施設の先生や、神父様の愛情を一杯注がれていることが分かる。親に勝る愛情は・・・ある。子に勝る宝は・・・ある。朝まだ早い都会の片隅で厳かに行われる儀式の中で僕はそれを感じた。親だから、子だから、親だからこそ、子だからこそ・・・そんな常識はもはや崩壊し始めている。親でもない、子でもない関係の中に愛を育む人達がいる。本能でもない、打算でもない、他者を大切に思う心を備えている人達が確かにいる。それは実に希望に満ちた朝の光景だった。