一時預かり

 普段はとても明るい神父様なのだが、今日の説教は違った。ある瞬間急に言葉が詰まり、感情を必死で抑えようとしていた。涙を見せまいとする懸命な努力が見ていて分かるが、数分後、意を決したようにたどたどしく話を再開した。  神学生の頃、色々なところに勉強のために派遣されるそうだが、ある時、ライ病の方達の集落に派遣された。韓国のライ病の方はとても積極的な暮らし方をしているらしくて、日本みたいに隔離政策はとられていなかった。集落には教会があり、朝の4時頃、教会に灯りがともるのを合図に、信者さん達が集まってくる。その時、忘れられない光景に出会えたそうだ。それは、ライ病のために両手と両足を切断した方が、同じく視力を失った方を背負って教会のミサにやってくる光景だったそうだ。そして集まった大勢の人達が祈るのは、もっと不幸な人達のためであって、自分たちのためではなかったというのだ。  若い神父様だから恐らく数年前の記憶だと思うが、ハッキリと昨日の記憶のように蘇ったのだろう。僕の通う玉野教会は小さな教会だが、恐らくミサに預かっていた30人近くの信者さんは誰もがもらい泣きしたのではないか。あちこちで鼻をすする音がしていたし、うずくまるように体を折って涙していた人もいた。人それぞれ受け止め方は違うだろうが、恐らく多くの方が、自分の利己的な欲望に満ちた生き方を恥じて涙したのだと思う。毎日頭に浮かび口から漏れる不平不満、諸々の欲望、それらを昇華できない俗物性にうんざりしたのではないか。  僕は毎日曜日、教会のある玉野市に入るために、児島湾にかかる大きな橋を渡る。眼下には小豆島に渡るフェリーボートさえ小さく見える。この橋を渡るとき1週間分の汚れた心を湖面に落とし、ほんの少しだけ清くなった心の置き場を作っておく。ほんの一時預かりでしかない自分の情けなさに裏切られながらも、何かを求めて渡り続ける。