SOS

 夜の9時頃、電話をとると苦しそうな女性の声がとぎれとぎれに聞こえた。最初は何を訴えているのか分からなかったが、そのうち誰でどの様な情況なのかが分かった。何年もメールで会話している人だが、初めて聞く声が苦しさの中でのSOSだった。実はその日の昼頃、それこそメールでSOSと連絡してきていた。  その日、恐らく関東もかなりの寒さだったろう。南の牛窓でもかなり冷え込んでいたから。大都会の駅のベンチに運ばれ横たわったまま僕に電話していたに違いない。その苦痛を取り除いてあげる手段が僕にはなく、遙か遠いことを残念に思い、僕が医者でないことを残念に思った。飛んでいける距離ならすぐにでも出かけたいと思った。傍についていてあげたいと思った。遙か遠くの地のプラットホームで僕を頼らなければならない彼女を不憫に思った。考えれば考えるほど僕も辛くて、電話を置く残酷さがいつまでも僕の心から消えなかった。救急車しか選択肢はなかったのだ。  数日後、彼女の元気な声を聞いた。ああ、これが彼女の本当の声なのだと、とても嬉しかった。数年のメールだけのつき合いだが、彼女が遠距離を通い、働いていることを知った。もっとも、外国旅行に行ったことを報告してくれていたから、元気になったのは分かっていたが、僕なんかうんざりするような距離を毎日通勤しているのかと、その回復ぶりが分かってとても嬉しかった。今でもはっきりあの夜の電話の声も内容も覚えているが、一人の立派な女性が、僕の心の中に、あの出来事をきっかけにハッキリと姿を現した。すれ違う人々は一見無機質な存在にしか見えないが、それぞれ計り知れない固有のドラマを生き抜いている。幸せあれ。