1年半くらい電話でしばしば話をしているから、結構その個性は分かっている。彼女が話し好きなこともあるが、独特の間合いで話をするからついつい耳を傾けてしまう。 そんな彼女が岡山に琴の演奏に来るというのだから聴きに行かない手はない。まして2500円もする入場券を10枚もくれたのだから一人で行くのはもったいない。日本古来の音楽を聴かせてあげるなどともったいぶって、かの国の女性を二人連れていった。  予想以上に観客が多くて、結構大きな会場だったのに僕は立ち見だった。そしてもう一つ大切な予想以上があった。それは彼女も予想していたのだが、本当に退屈だった。恐らく、その世界では評価の高い人達の演奏会だったのだろうが、僕は全く感動がなかった。ほとんど日本人の血が流れていないのかと言うくらい血も沸かずに肉も踊らなかった。まるで世界が違ったのだ。共鳴するものが何もない、どこかにある、それでいて毅然として歴史を受け継いでいる人達の世界の出来事を、防音壁で作られた壁のこちらで眺めているような感じだった。  携帯で連絡を取り合って会いましょうと提案してくれたのだが、あいにく僕は携帯を持っていない。だから、30年前にスポーツ少年団を作ったときに揃えたジャージを着ていくから見つけてとお願いしていた。明るい青色に大きな字でUJFC(牛窓ジュニアフットボールクラブ)と字を入れているのですぐ分かるとメールで伝えておいた。すると会場の廊下で彼女が僕を見つけてくれた。そもそも琴の演奏会にはかなりの違和感がある服だから、簡単に見つけることが出来ると思っていたが、案の定すぐに分かったみたいだ。 グループで広島県からやって来たのだが、帰りは一人でもいいというので、みんなでホテルの喫茶部に行き、楽しい時間を過ごした。同行したかの国の二人は、すでに何人かの過敏性腸症候群の人達を完治させてくれた実績のある女性で、今日も紹介すると僕などそっちのけですぐに3人で色々話を始めていた。この素直な人の受け入れようこそが、今では僕の隠れ処方なのだ。 僕の車の助手席に座り、ホテルのテーブルを囲み、新幹線で帰る。どれも嘗ての彼女にはかなりの負担だが、今ではそんなに苦にはならない。今日も得意の「迷惑をかけている」を口にするが、何も迷惑などかかるはずがない。どこにでもいる若い女性と、楽しく時間を過ごしただけだ。 何を切っ掛けにこうしたあり地獄に落ちたのか知らないが、脱出も又ふとした切っ掛けで出来るものだ。今日の出会いがそうしたふとしたものを見つける機会になれば幸いだ。仁先生がタイムスリップして活躍した時代に、咲様がこうして静かに琴を奏でていたのだろうかと、その場にいる理由を懸命に考えながら耐えた時間だったが、僕を信じてゆっくりと、しかし確実に改善してくれている女性に会えてとても意義深い一日だった。