朝はいくつも重なってやってくる。 日曜日の朝なのに、襟巻きをしほっぺたを真っ赤にして制服姿で自転車を漕ぐ高校生達。今し方ビジネスホテルから飛び出してきた急ぎ足のサラリーマン。喪服を着て駐車場と書かれた紙を持ち立ち続ける人。のんびりと犬の後を歩く老人、河原で解放される犬たち。重装備でプレジャーボートに乗り込む釣り人達。どこから来て何処に向かうのか県外ナンバーの車。信号の前で追い抜かれ、信号を過ぎて追い抜く鍛えられた太股をしたサイクリング人達の列。おそろいの防寒コートをまとい陸上競技場に消えていく選手達。  それぞれの一日が、無限大に広がる構造式のように独立しながら関連し、太陽を待ち受けたかのように始動する。一人一人が小さくて大きい。針の先で突いたような存在でも、心は風のように広がっていく。握り拳くらいの命でも、何にも換えれない。何気ない日常は、何気ない風景に包まれて、何気ない喜びを何気なく育む。  朝はいくつも重なってやってくる。海猫が風に乗り、巨岩が岩肌を転び、大橋が工場の煙突を越えるように。