人口湖

 眼下に見える民家はもとより、工場も小さく見えるし、工場の煙突もはるか下に見えるから、この人工湖にかかる大橋はかなり高いのだろう。今夜、太陽になりそこなった巨大な月が、山の端で橙色に燃えていた。あるはずもない光景に驚いて車の中から追っていた。欄干から湖面は見えない。僕は欄干から見えない水面に向かって脱ぎ捨てた魂を1つずつ落としていった。音もなくすべるように落下するそれらはすぐに視界から消え、暗闇が扉を閉じる。  毎週、日曜日の朝僕はこの橋を、沢山の醜い心をトランクに詰め南へ渡る。夜には若干のつつましさを頂いて北へ渡って帰る。ラテン語のhumus(土)はhumble(謙虚)とhuman(人間)の二つの言葉の語源らしい。人間はいつかはチリに帰らなければならない土から出来た存在でしかないから、謙虚に生きていかなければならないと言う意味があるらしい。何千年前に出来た言葉かしらないが、なんて根源的な意味を持っているのだろう。昔の人間がいかに優秀だったか分かる。目にあまり、世にはびこる「傲慢」を弾劾したところで僕自身が変わるわけではない。脱ぎ捨てた傲慢は数え切れないが、人口湖の水面が1cmすら上昇することはない。ひたすら汚れた魂を脱ぎ捨てて、いつの日か人口湖を溢れさせたい。その時はじめてまっとうな人間になっているかもしれない。