肩書

 有名な大学病院の、高名なお医者さんを頼って過敏性腸症候群を治療してもらっていた人がいる。外出しようとすると便意が何回も襲ってきて、ちょっとやそっとでは外出できないらしい。下痢はするはめまいはするはで困っていたらしい。真面目に治療に通ったが結局はなにの効果もなく、通院を止めたらしい。そのお医者さんが最後に言った言葉は「お通じのことを考えなければ治る」だそうだ。やはり高名な方は素晴らしい言葉をのこす。真理を端的に表わしている。 ただ、それを言われると患者は立つ瀬がない。そんな事は重々分かっていて、それが出来ないから苦しんでいるのだから。  肩書っていいものだと思う。「考えを変えないあなたが悪い」と責任を転嫁されているのに、患者さんは「治せない貴方が悪い」とは反論しないから。僕がもし同じような言葉を言うと、打ち首獄門にでもあいそうだ。確かに生まれついた才能だけでなく、並外れた努力をして勝ち取った肩書なのだろうが、恐らくそれと引き換えに身につけてこれなかったことがある。人と同じ地平に立つということだ。山の頂きに立ち見下ろしている。体調、心の状態を崩し果てしないコンプレックスの中にいる人達の苦しみは分からない。医学的に症状は十分把握出来るが、わが痛みにはならない。もっとも全てを引き受けてしまえば身はもたないだろうが、上記の名言で済ませられてはかまなわない。自分の息子や娘が過敏性腸症候群で苦しんでいたら、果たして安定剤や抗鬱薬を与えて、「考えなければ治る」と言ってすませるだろうか。  毎晩、希望に溢れるメール、絶望に打ちひしがれたメールが混在して入って来る。それぞれがそれぞれの場所で懸命に生きていることが伝わってくる。桜が咲いて嬉しい人もいる。桜が咲いて悲しい人もいる。季節の春は確実にやっは来るが、心の中に陽光がさしこむ人はいったいどのくらいいるのだろうか。