証明

 このような仕事をしていると色々勉強になる事がある。家庭内のトラブルも皆さん結構正直に教えてくれる。  例えば、姑が嫁をいじめる場合。「財布からお金を盗んだ」と、姑が直接嫁に言ったり、世間に言いふらすことがある。ボケて何を言っているのと若い人は言うだろうが、意外や意外、ボケどころか計算し尽くされた戦略のことが多い。何故なら、盗んでいないことを証明するのは至難の技なのだ。偶然1回の非難ならアリバイとやらの立証も有り得るのかもしれないが、度重なる非難にはアリバイも都合よくは成立しない。盗んだことを証明することは、盗んだものを出すだけですむから簡単なのだが、その逆は何倍も、いや、何十倍も難しい。度重なる非難はボデーブロウのように効いて来て、やがて嫁の精神を蝕む。  僕は、若者の「臭い」といういじめも同じ構図ではないかと思っている。当事者にはまったく身に覚えのない感覚でも、臭っていないことを証明することはこれまた至難の技なのだ。臭っていることを証明することは簡単だ。しかし、口裏を合わされ、悪意に満ちた連帯で取り囲まれたら、ほとんど証明は不可能だろう。  現代の若者と老人が、同質の手段を用いて人を傷つけている。反論できない言葉の凶器を操る2つのかけ離れた世代の人達に人間の空虚な性を感じる。