ままならぬ

 ままならぬものをままならそうとしたらしんどいばかりだ。そんなしんどさに敢えて挑んで返り討ちにあっている姑が何故か沢山来る。熱心すぎる舅も又同じような境遇で時にやってくる。 時代は明らかに変わっている。戦中派が苦戦している。戦前の家族関係をまだ肌で覚えていて、戦後の個人主義も勿論知っている。ただ人は頭より肌に染みついた方が本質的だ。観念なんてそうしてみれば危ういものだ。時代の流れで仕方ないと頭では分かっているが、どうしても納得できない。身体はもう充分衰えているから、若い嫁には太刀打ちできない。何れ世話にならなければならないことは、自分たちがもう舅や姑の世話を充分経験しているから恐いほど分かる。大正や明治の人みたいに強くおれた環境でもないから、遠慮しながら陰で不満を言って降りもしない溜飲を下げるのがおちだ。力関係は明らかに逆転した。僅か半世紀で、どのくらい長い間続いていたか分からない価値観を転換させた。1000年か2000年か1万年か、あるいはそれ以上か、認めたくはないがそれこそ肌身でそれは悟っている。  最早ままなるものの最後の砦も陥落した。時代に追い越されて井戸端に咲く花もない。