経済行為

 僕は胡散臭いものを見抜く力は幸運にも備わっているみたいで、盲目的に、あるいは無邪気に人や組織を信じることはしない。だから逆に胡散臭い人間になる資質も持ちあわせていないみたいだ。変化球を多用するが価値観だけは直球もいいところだ。 社会的に生きていくために否が応でも組織に属さなければならないこともある。否が応にも誰かと付き合わなければならない時もある。ただこの否が応の敷居が僕はとても低いのだ。だから簡単に退散できるし、逆に乗り越えてしまうことも多い。世の中には勘違いに気づかないたちの悪さで、矮小で低俗な野心を実現しようとする輩がいるが、これなどはつい敷居を乗り越えていってしまう。本来的にそうなのか、職業柄身に付いたのか分からないが、傍観や無視が苦手なのかもしれない。  左側を向くとめまいがする女性がいる。大の病院嫌いだが年齢には逆らえず、内科と眼科にかかっている。病院に行く日の憂うつさは、他のものに比べられないくらいのものらしい。ただでさえ左に向けないのに、その朝など真正面しか向けない。ところが病院から帰ってきたら何と左側に向けるのだ。大の病院嫌いが禍して、僕の所にやって来る前までは、それこそ胡散臭い薬屋さんで毎月10万円以上モノを買わされていたらしい。足許を見られていたのは明らかだが、ほとんど素人、いやそれならまだ悪意はないが、看板を掲げているから悪意の固まりのように僕には思えた。経済行為なら全て許されるつまらない世の中になった。ただ経済から逃れて、その胡散臭さから逃れてたどり着くような所までが胡散臭いのだから、自前の価値観を大切にするしかない。