子守唄

 現役をすでに引退している夫婦が、ある日、お墓参りに行った。お墓についてみるときれいに草が刈られていた。自分たち以外にお墓を掃除する人はいないから不思議に思っていたらしいが、ある日判明した。二人には息子さんがいて最近結婚した。赤ちゃんも出来たらしい。なんとお墓を掃除してくれたのは、若いお嫁さんなのだ。息子さん達は実家から車で30分くらい離れたところに住んでいるが、赤ちゃんを連れ実家の近くにあるお墓に行き、赤ちゃんを乳母車に乗せながら、鎌で草を刈ったらしい。  僕は数ヶ月前、二人の紹介でその若いお嫁さんに漢方薬を作ったことがある。その時の応対がとても心地よかったのを覚えている。決して立ち居振るまいが洗練されているわけではなく、いやいや寧ろ逆で静かでとても穏やかだった。お墓掃除の謎を聞かされた時、彼女ならありうることだと思った。そもそも二人がお嫁さんの話をしたのは、僕が「いいお嫁さんですね」と話しを向けたからだ。二人が決して自慢話を始めたのではなく、いつもの薬局内での会話の延長に過ぎない。  しかし、今どきこんな若い女性がいることは驚きだ。どんな環境で育ち、どんな人に育てられれ、どんな人に囲まれて大きくなったのか分からないが、条件が揃えばありうることなのだ。現代人は心の中で刃物を磨き、言葉の凶器で人を刺し、返り血を浴びて逃げ惑っている。うんざりは循環し排水溝から褐色の営みの中に消えていく。乳母車を押し、しゃがみこんで釜を使う人の子守唄が通りを歩く人の頬を撫でる。