墓掃除

 着くなり、一人はしゃがみ込んでバラスの中から顔を覗かせている草をむしりだし、一人は熊手で枯れ草を集め、一人は鍬で人が一人通れる狭い道に張り出している草を削りだした。打ち合わせをしているわけではないのに、あっと言う間に分担が出来上がってしまった。もっとも寮に迎えに行ったときにはすでに長靴に軍手、それとかの国特有の大きなマスクに麦わら帽で完全武装していた。やる気満々が伝わってきていた。 故郷はいつも綺麗に整っていて、親はいつも気品に溢れ健康でいて欲しい・・・と思うのは良く分かる。だがそのどちらも難しい。およそ2年ぶりだろうか。気になりつつも放っておいたお墓掃除に今日やっと行けた。山の中腹にあり、夏は高く伸びた草で鬱蒼として気持ち悪いので冬の間だと思っていたが、冬は冬で寒くて億劫だった。数日前にかの国の女性が遊びに来たときに、一緒にお墓掃除に行ってくれるように頼んでみた。すると即答で一緒に行ってくれることになった。日曜日は彼女たちにとっては休養に当てるとても大切な日なのだが、それは昼まで必ず寝ていることで想像が付くが、快く何も考えずに承諾してくれた。一人の女性に頼んでいたのだが、仲間を連れて3人で手伝ってくれた。  彼女たちはかの国では首都に暮らしている女性達で決して田舎の人間ではない。大袈裟に見えるほど虫を苦手とするくらい都会の女性なのだ。なのにそんな彼女たちの作業はとても熱心で、丁寧で根気強かった。だから一人では見た瞬間諦めて帰ろうかと思うくらいの荒れた状態でも、小一時間もすればとても綺麗になった。そして作業が終わったときに一人の女性が「オトウサン タノシカッタデス」と言った。お墓掃除を、それも他人のお墓を掃除して「タノシカッタ」は日本語の間違いかと思ったが、他の二人も口を揃えて同じ言葉を発したので、本当に楽しんでくれたのだと思った。良く晴れて暖かかった上に、小高い所から、瀬戸の島々が見えるから、気持ちよかったのかもしれない。普段機械に一日中向かっているから戸外での作業が楽しかったのかもしれない。  この数年明らかに僕の心を癒してくれているのは彼女たちだ。11人の2週間分の食費がしめて44000円の彼女達だ。極端に限られた語彙でしか意志の疎通は出来ないが、懸命に素朴に謙遜に生きている様子が何の装飾もなく伝わって来る。嘗て同じ年齢の頃、僕は懸命でもなかったし、素朴でも謙遜でもなかったが、少なくともその毎日の食費だけでは連帯できそうだ。意図した金無し生活の6年間だったが、その後の僕を決定づけた6年間だと思う。