長寿

 一体、今何が出来るのだろう。ほとんどのことが、それもかなり有能に出来ていた人が、食べることと、よちよち歩くことと、排便、いや小便にいたっては全敗だから、もうほとんど食べることだけか。無から生まれ、何でも出来るようになって、やがて全てをお返しして終わるのか。そんな気付きを迫られる毎日だ。 人格という最後の砦が崩れだした。笑みは引きつり、声は時に怒気を帯びる。妄想に支配され現実が影を潜める。慇懃を武器に食欲は留まるところを知らない。まるで餓鬼のように食べ物を視線が射る。  下手な長寿は残酷なものだ。うすうす気がつきながらもどうしようもないもどかしさの中で、受け入れていかなければならないのだろう。食べることに執着し、声を荒げでもしないとバランスをバランスをとりながら失っていくことに耐えられないだろう。恐怖の裏返しが今の人格を作っているのだと思う。  田舎では求人の半数以上を占める介護施設は、実はこうした不健全な長寿に保証されているのだ。