向学心

 果たしていくらの余裕を持って日本にやってきたのだろう。恐らくギリギリのお金、ひょっとしたら数日分のお金くらいしか持ってこれなかったのではないかと思う。そこまでして再び日本にやってきたかったのだ。2年前日本で働いて得たお金は、国に帰ってから日本語学校で使い果たしているのではないか。あるいは日本の大学に入るために使い果たしているのではないか。いや、それどころか、かの国では日常的に行われる近所から借金をするという慣習を利用してやって来たのかもしれない。  彼女が再び日本を選んでやって来たのは向学心だけだ。勉強を隠れ蓑に働きに来るのとは違う。ハッキリした目的を持ってやって来た。アルバイトをするための自転車を買うお金がなかったから送ってあげたら、夜の12時までアルバイトが出来ているらしい。今でも35℃以上ある国からやって来て、予想以上に寒くて布団が欲しいと嘗ての同僚達(牛窓)に言ってきた。使い古しの布団を何枚も自転車に積んでクロネコヤマトまで2kmの距離を運ぼうとしていたから僕が引き受けた。誰にだって出来る些細なことに再び感謝のメールが入ってくる。「お父さん 電話代高くて電話できません。許してください」  この国よりもっと進んだ国がどのくらいあるのか知らないが、そこから来た人達に僕が心を動かされることはそんなにないだろう。彼らが手にしたものがどれだけの価値があるのか疑わしいから。創造の名を借りて破壊に手を貸していることの方が多いことをいやと言うほど見せつけられているから。形あるものを作ることには得てているが、見えないものを作ることにはいたって向いていないから。  それに引き替え、かの国からやってくる女性達は、見えないけれど心でいくらでも感じ取れるもので僕を癒してくれる。どちらが僕にとってより価値があるか答えは明らかだ。