ボールペン

 僕には捨てれないものがある。2色、或いは3色ボールペンの赤色の芯だ。複数色のボールペンは、赤色以外を使うことが圧倒的だ。その為に軒並み赤色ばっかりが残る。薬局は製薬会社からボールペンを毎日のように頂くから、文房具店なみにたまっていく。忙しさにかまけて、ボールペンが必要な時、探すよりおろすほうが早いからそこ彼処に散乱している。ところが赤色ばっかりが残っている。僕は使われない赤色の芯を集め、使いきられた黒や青の芯ととりかえる。すると赤色ばっかりのボールペンができあがる。  さて、それを使わなければ無尽蔵にたまっていくので、僕はあらゆる機会を使って使用する。勉強会などは後でノートにまとめるから、下書きの走り書きは全部赤字で書く。原稿も赤字で書くし、問診も下書きは赤字で書く。見ていて奇妙に感じている人もきっといると思う。単なる性格なのだ。日本人が持っている「もったいない」なのだ。僕らの世代は、ボールペンが万年筆にとって変わる瞬間に立ち会っている。万年室の重厚さを否定しながらも、不便を解消して取って代わった筆記用具の主役を目の当たりに目撃した。安価も衝撃だった。その安価を上回る上質の書き心地はもっと衝撃だった。ボールペンは贅沢でない贅沢だったのだ。僕はそんな贅沢品を捨てれない。ものとして命をまっとうしていないものを捨てれない。